2025/06/19 12:00 ~ なし
自己紹介(こどものころ)
はじめまして。
kafuneを運営しております、ココロ(心)と申します。
名前は本名で、
尊敬する父がつけてくれた
大好きな名前です。
洋裁、和裁、編み物好きの
祖母と母のもとで
教えてもらったというよりは
くっついて見て覚えて
4歳くらいの時から、
編み物や、縫物をしていました。
はじめて一品作り上げたのは
4歳の冬のマフラー。
かぎ針編みで鎖編みすることを覚え、
それをくるくる円型につないでいくことを
教えてもらい、その辺にあった赤茶色の
毛糸で、ひたすらくるくるくるくる
編んでいましたら、赤黒い、長いベロのような
ものになりました。
それを見て祖母が「べこ(牛)の舌だね(笑)」と笑い
なにかかわいいものになるようにと、
まわりを白い毛糸で、さらにくるくる囲っていくよう
教えてくれました。
そして最後に、その周りにベージュで、花弁のような
ふち飾りをつけることを教えてもらい、
わたしの初めての「作品」ができあがりました。
とってもうれしくて、一本の毛糸が3Dになっていくのが
不思議で面白くて、
最初は「べこっこの舌」だったものが、アレンジして
即興で飾りを加えて、最後には
売っているものと全然違う、かわいいものになったのが
すごく楽しくて、
私の強い原体験になりました。
私は家でも幼稚園でも
ほとんどしゃべらない子どもで、
話しかけられると
目に涙をいっぱい溜めてしまうような、
難ありの子供でした(笑)
母は社交的でおしゃべり好きで
華やかなタイプだったので、
そんな私を扱うのは大変だったと思います。
そんな性格でしたので、
幼い頃、
夕方にリビングで、
隣のキッチンで母が夕食の支度を
している音を聞きながら
だまって手芸に没頭する時間は
何よりも、安心で、安全で、幸せでした。
今はもう、訓練に訓練を重ねて
しゃべれるようになりましたけど
いや、だいぶしゃべりますけど、
それでも、私の芯は変わっておらず
いつでもあの、
きれいに整ったあたたかい家で、
愛する人の気配を感じながらも
だれにも干渉されず
安心して好きなものを作る空間に
いつも戻りたくて仕方ないところがあります。
小学生になると人形が好きになり、
中でも高学年の頃から、
1/6スケールのファッションドールに
ハマりました。
しかもその頃から、
ドールの撮影をするのが好きでした。
わたし50代なのですが、
当時まだフィルム写真の時代で、
やっと写ルンですが出始めたころ。
わたしは父親のでっかいカメラを
持ちだして、屋外でドールを撮影したり
していました。
近所の工事現場に持っていって、
砂漠の雰囲気を出してみたり、
雑誌でみたソフトフォーカス効果を
なんとか出したくて、
家の網戸を外して、カメラの前において
撮影してみたりしていました。
もちろん一人で(!)
いろいろお仕事経験ありますけど
一通りやって、今、
結局ここに戻ってきました。
手芸と、ドールと、写真での表現。
だから私にとってkafuneの活動は
趣味とも、仕事とも、表現とも
なんとも形容しがたい、
魂のままの、やらずにはおれない自然な活動でして。
それがこうして、曲がりなりにも「商売」として
成り立ち、わたしが生活して、次の創作への
材料を買えて、kafuneを継続していけるのは
わたしの作ったものを、迎えてくださる
皆さんのおかげです。
本当に本当に、感謝しかありません。
そのことを思うと、
もっと誠実に(自分にもお客様にも)
もっと自由に、楽しんで仕事をしようと思います。
わたしについて、
kafuneについて、
話したいことがたくさんあります。
Instagramはそういう場ではないような気がして、
今まで話すことができませんでした。
だけどどうしても、どこかに残しておきたい
思いがいっぱい。
だから、ホームページを作りました。
いつか誰かが、読んでくれますよう
願いながら、ここに綴っていきます。
よかったらまた、見に来てください。
kafuneを運営しております、ココロ(心)と申します。
名前は本名で、
尊敬する父がつけてくれた
大好きな名前です。
洋裁、和裁、編み物好きの
祖母と母のもとで
教えてもらったというよりは
くっついて見て覚えて
4歳くらいの時から、
編み物や、縫物をしていました。
はじめて一品作り上げたのは
4歳の冬のマフラー。
かぎ針編みで鎖編みすることを覚え、
それをくるくる円型につないでいくことを
教えてもらい、その辺にあった赤茶色の
毛糸で、ひたすらくるくるくるくる
編んでいましたら、赤黒い、長いベロのような
ものになりました。
それを見て祖母が「べこ(牛)の舌だね(笑)」と笑い
なにかかわいいものになるようにと、
まわりを白い毛糸で、さらにくるくる囲っていくよう
教えてくれました。
そして最後に、その周りにベージュで、花弁のような
ふち飾りをつけることを教えてもらい、
わたしの初めての「作品」ができあがりました。
とってもうれしくて、一本の毛糸が3Dになっていくのが
不思議で面白くて、
最初は「べこっこの舌」だったものが、アレンジして
即興で飾りを加えて、最後には
売っているものと全然違う、かわいいものになったのが
すごく楽しくて、
私の強い原体験になりました。
私は家でも幼稚園でも
ほとんどしゃべらない子どもで、
話しかけられると
目に涙をいっぱい溜めてしまうような、
難ありの子供でした(笑)
母は社交的でおしゃべり好きで
華やかなタイプだったので、
そんな私を扱うのは大変だったと思います。
そんな性格でしたので、
幼い頃、
夕方にリビングで、
隣のキッチンで母が夕食の支度を
している音を聞きながら
だまって手芸に没頭する時間は
何よりも、安心で、安全で、幸せでした。
今はもう、訓練に訓練を重ねて
しゃべれるようになりましたけど
いや、だいぶしゃべりますけど、
それでも、私の芯は変わっておらず
いつでもあの、
きれいに整ったあたたかい家で、
愛する人の気配を感じながらも
だれにも干渉されず
安心して好きなものを作る空間に
いつも戻りたくて仕方ないところがあります。
小学生になると人形が好きになり、
中でも高学年の頃から、
1/6スケールのファッションドールに
ハマりました。
しかもその頃から、
ドールの撮影をするのが好きでした。
わたし50代なのですが、
当時まだフィルム写真の時代で、
やっと写ルンですが出始めたころ。
わたしは父親のでっかいカメラを
持ちだして、屋外でドールを撮影したり
していました。
近所の工事現場に持っていって、
砂漠の雰囲気を出してみたり、
雑誌でみたソフトフォーカス効果を
なんとか出したくて、
家の網戸を外して、カメラの前において
撮影してみたりしていました。
もちろん一人で(!)
いろいろお仕事経験ありますけど
一通りやって、今、
結局ここに戻ってきました。
手芸と、ドールと、写真での表現。
だから私にとってkafuneの活動は
趣味とも、仕事とも、表現とも
なんとも形容しがたい、
魂のままの、やらずにはおれない自然な活動でして。
それがこうして、曲がりなりにも「商売」として
成り立ち、わたしが生活して、次の創作への
材料を買えて、kafuneを継続していけるのは
わたしの作ったものを、迎えてくださる
皆さんのおかげです。
本当に本当に、感謝しかありません。
そのことを思うと、
もっと誠実に(自分にもお客様にも)
もっと自由に、楽しんで仕事をしようと思います。
わたしについて、
kafuneについて、
話したいことがたくさんあります。
Instagramはそういう場ではないような気がして、
今まで話すことができませんでした。
だけどどうしても、どこかに残しておきたい
思いがいっぱい。
だから、ホームページを作りました。
いつか誰かが、読んでくれますよう
願いながら、ここに綴っていきます。
よかったらまた、見に来てください。
